2022-07-01 投稿者: Sporkes編集部 オフ

「野沢温泉スキー場を世界一に」 中学卒業後に単身渡欧したスキーヤー河野克幸が挑む夢

 「野沢温泉を世界一のマウンテンリゾートにしたい」。スキー場が有名な長野県・野沢温泉村で中学年代のスキー指導に加え、宿泊施設とスキー場でのレンタルショップ、飲食店を手がける河野克幸さん。物心ついた頃からスキーにのめり込み、競技スキーを極めるため、15歳にして単身オーストリアに渡った。雪景色の美しい人口約3500人の村で育った少年は、約5年、世界中のスキー場を舞台にトップを目指して滑り続けた。選手として成し遂げられなかった世界一の夢を、今度は故郷でかなえるために奮闘する姿は、「チャレンジ、革新」の理念を持つ「Theragun(セラガン)」とも重なる。

 河野さんがヨーロッパに挑戦したのはインターネットが現在ほど普及していない1996年。中学卒業後にスキーでの海外留学は、当時珍しかった。自身も笑いを交えてこう懐かしむ。

 「インターネットもなかったし、強い気持ちを持っていないとなかなか厳しいですよね。メールとかも出来ないし。その頃から何かにチャレンジしたいという思いはあったんだと思うんですよね。漠然とだけど、そこにいったら速くなるんじゃないかと。一応、中学3年性の時に下見はいったんですけど、直感でここかなみたいなノリで留学を決めました。」

日本を飛び出したのは、身近にお手本がいたからだったという。

 「小学生の頃から現実的に見える夢みたいな目標が隣にあったので、可視化はできていまました。こうなりたいと。小学校の頃から毎日スキー漬けでした」

 小学6年で長野県で1位に。中学では常に全国トップ層を維持していた。若くして世界に目を向けるのは必然だった。主にアルペンスキーのスーパー大回転、滑降の二種目に取り組んでいた。ただ、世界の壁は高く、W杯の1つ下のカテゴリーにあたるヨーロッパカップには出場したが、目立った実績は残せなかった。

 「惜しいところまではいったんですけどね(笑)。W杯にはなかなか出られなかったです」

 21歳の時に当時、新種目だったスキークロスに転向するも、2年ほどで現役を退いた。長いヨーロッパでの戦いの中で、エネルギーを燃焼し切っていた。約4年東京で暮らし、故郷に戻ってきた。世界各地のスキー場をみてきた河野さんにとっても、野沢温泉スキー場はやはり特別な思い入れがある。

 「自分が生まれ育って、海外に行くチャンスだったり、生涯の付き合いになるスキーに出会うきっかけを与えてくれた野沢はやっぱり大切な場所ですね」

 現在は、有限会社 白樺の経営に注力している。祖父の代から続く宿泊ホテルの運営、スキー場でのレンタルショップの運営、スキー場の飲食店の3本柱で事業を展開している。インバウンドが加速した2010年以降、海外需要の高まりによって飲食業まで手が回らなくなり、店を畳もうかと考えるほど盛況だった。

 「20代中盤に野沢に帰ってきた後、自分でやりたいと祖父から事業を受け継いで、スキーのレンタル業を任せてもらったことがきっかけです。15年前はレンタル業と宿泊業の2本柱で、収益の8割が宿泊業だった。インバウンドが入ってくるようになってからは飲食店も始めました。6年前にレンタル業が好調になってきて、事業の割合としては宿泊業が3割、レンタル業が5割、飲食業が2割の比率に変わっていきました」。

 現在はコロナ禍で思うようには展開できていないが、大きな目標のために献身する日々だ。インバウンドの増加に伴い、質の高い日本の雪山は、「ジャパン」と「パウダースノウ(粉雪)」の造語で「ジャパウ」として世界中で広く認知されるようになった。

 「ウチの事業としては、雪山の全部を請け負っている総合的な企業をイメージして成長させていきたい。「野沢温泉を世界一のマウンテンリゾートに」を目標に掲げてやっていますが、国際的には知名度と山の内容、サービスなどはまだまだ世界水準には遠いかなと。ただし、ソフトも含めてチームで野沢温泉一丸となってやっていくことができれば、他のスキー場、マウンテンリゾートにも刺激を与えつつ、日本のマウンテンリゾート全体を盛り上げていけると思っています」

 選手としては大成しなかったが、若くして世界に挑戦したことは、野沢温泉を世界一のマウンテンリゾートにするためには必要な経験だった。

 「結局(プロ)選手にはなれなかったけど、10代20代の若い頃に、いろんなスキー場いって、みてこられたのは今、役にたっている気はしますね」

 そう語る河野さんの目には、力強い光が宿っていた。

 野沢から世界へ挑戦し続けている河野さんが、現役時代から取り組むコンディショニング術は次回の記事で取り上げる。一線で活躍した河野さんだからこそ伝えられるコンディショニングの大切さを感じてください。

PLOFILE

河野 克幸 -こうの かつゆき-

1981年長野県野沢温泉村に生まれる。幼少期からアルペンスキーをはじめ、中学卒業後、単身オーストリアへ渡る。21歳で帰国し、スキークロスW杯に参戦。現在は野沢温泉村に戻り、レンタルショップ白樺、七良兵衛珈琲を経営する傍ら、野沢温泉ジュニアスキークラブコーチとして毎日雪面に立つ。 https://shirakaba8.com/cafe/